渡航日:2019/8/4
20時間のバスを終えて

首都イスラマバードからバスに乗ること20時間。
サッカルというパキスタン南部の街へ到着した。
ここにきた目的は世界遺産であるモヘンジョ=ダロを見に行く為である。
インダス文明で栄えていたこの遺跡は教科書で見たことがあり、
パキスタンで一番行きたい場所であった。
アクセスの悪さや治安の不安定さなど観光にはあまり適していない場所である。
そんな状況下でも行きたい場所があれば行くのが自分だ。
サッカルからモヘンジョ=ダロまではタクシードライバーを雇って訪問する。
情報が少ないのでこういう時は金で解決する。

世界遺産ということもあるので入り口周辺の設備はしっかりしている。
個人旅行で気軽に訪問できるようにして欲しいのが正直な感想だ。
到着時刻が朝の7時だったので遺跡には誰もおらず独占状態だった。
周辺に歩いていたスタッフに旅行客は多いかと質問を投げてみたら
ツアーや団体で来る人がほとんどのこと。
モヘンジョ=ダロ周辺は武装勢力も多いため不安定な場所である。
日本とはかけ離れた環境と感じた。
正直な感想

結論から言うと遺跡の原型がほとんどなく、
特別何かがあるわけでもなかったのでイマイチでした。
紀元前5500年頃の古い遺跡であるのでこれに関しては仕方がない。
モヘンジョ=ダロに行く前にしておくべきことは、
インダス文明について学習してから行くべき。
そうすればここに何が残されてたかを理解して、
深い部分に触れることができると思います。
この地の都市計画は整っていて19世紀ごろのヨーロッパよりも発展していたとのこと。
紀元前5500年前と19世紀では時間軸に差があるのに驚きしかない。
ここは後にいろいろ気付かされる場所です。

ここがモヘンジョ=ダロ一番の目玉である遺跡。
ストゥーパと言われる2〜3世紀頃の仏教遺跡だ。
この場所が一番高い位置にあるので全体が見渡せる構造になっている。
遺跡は東西の2つの遺丘で構成されていて、
神官階級の居住地であった城塞地区、
庶民が暮らしていた市街地区で分かれている。
街の構造は非常によくできていることがわかる。
補足としてはこの場所は非常に暑いので体調管理は気をつけて下さい。
古代核戦争論

モヘンジョ=ダロという名前は「死の丘」という意味である。
本来の名前はインダス文字と共に謎のままである。
こうした名称で呼ばれるのには理由があり、
かつてここに住んでいた多くの人類が一瞬にして滅亡したとの事。
滅亡理由は明らかになっていないが、
仮説の一つとして古代核戦争論がある。
つまり、核戦争によって滅亡したのではないかと言われている。
この遺跡の5km先には"ガラスになった街"というトリニタイトと呼ばれる鉱物がある。
トリニタイトとは核爆弾で砂が一瞬の高熱によって熱して形成される鉱物だ。
自身、ガラスになった街の場所には行くことはできなかったので、
真実はわかりません。

さらにこの場所は1.6km四方に拡がった都市であると言われている一方で、
層が重なった都市の造りそのものを推測すると地面の下には更に街が広がっている。
モヘンジョ=ダロはいかに巨大な都市であった事がわかる。
・巨大な都市
・全盛期のインフラや都市計画
・一瞬にして滅亡した都市
・周辺の放射性物質
これらのことから未知な遺跡となっているので、
この話だけ頭に入れておけば更地の遺跡でも楽しめるかと思います。
もしかしたら自身が様々な遺跡を訪問したので飽きていることも一つの要因かと。
遺跡までの道のりと感動は釣り合わなかったです。
資料館

遺跡を観終わって帰ろうとした矢先にドライバーが資料館があることを教えてくれた。
せっかく何時間もかけてきた場所なので入ってみることにした。
この国は親日国なのでどこに行っても歓迎される。
受付のおじさんが歓迎してくれて入場料を無料にしてくれたのでこれには感謝でしかない。
日本でよくみるような小洒落た資料館とは異なり、
体育倉庫のような門構えの資料館である。
個人的にはもう少しモダンなデザインの施設がいいと思いましたが、
あくまで遺跡がメインなのでこの点に関しては仕方がないと受け入れます。

館内の様子はこのようにモヘンジョ=ダロで使われてたものが並んでいる。
説明を聞きながら回っていたが唯一印象に残っていることは、
インダス文字が解読不明なので明らかになっている事が少ないとのこと。
わかっていることは水路がしっかりしており、
近くにインダス川があるので生活は豊かなものであったこと。
ひたすら訛りの強い英語でモヘンジョ=ダロとインダス文明の説明を聞いていた。
30分くらいで回り終わったので街に戻ることにした。
タクシードライバーからの営業

目的を達成したので街に戻ろうとした時だった。
タクシードライバーがオススメの場所があると営業をかけてきた。
追加料金を条件に連れてってもらうことにした。
そして到着したところは巨大な壁が立ち並ぶ要塞だった。
ここはコトディジという場所にある要塞であたりが一面見渡せる要塞らしい。
ネットで調べても情報が出てこないような場所なので少し楽しみである。
現地の人がオススメしてくれる場所は高確率であたりの場所が多い(自論)
入場料は無料で気軽に入れる場所なのでタクシードライバーと共に観光をすることにした。

入り口からはひたすら坂を登り続けて頂上を目指す。
いつだって絶景は険しい道の先にあるのでそう思えばどんな困難な場所でも楽である。
以前までは辛いことからはひたすら逃げてきた自分ですが、
今は嫌なことでもあってもその先に何かがあれば頑張るようにしている。
できればずっと寝ていたい人生ではあるが、
人の最後は眠りにつくだけなので生きてる時は何事も精一杯やる。
そうなると人生は”やる”か”やらない”かではなく、
”やる”か”超やるか”この二択である。
この言葉は知っている人は知っているでしょう。
綺麗な景色とは裏腹に

頂上の景色は最高でした。
これ以上言うことは何もありません。
個人的にはモヘンジョ=ダロよりも満足できた場所であります。
ただ、この絶景とは裏腹に難点が一つあります。
この場所は異常な暑さで干からびるレベルです。
共に行動していたタクシードライバーは平然としていたが、
僕自身暑すぎて死にかけていました。
この場所に行く前に必ず水は持っていくことを強くオススメします。
水無しだと冗談抜きで死に至ります。
要塞を降りるまでがとにかくしんどかったです。

脱水症状ながらもせっかく登ったので観光を楽しみながら写真は撮っていた。
目の前の池に飛び込みたいと思いながらぼーっと眺めていた。
改めて写真を見ると非常に神秘的な街である。
これが俗gに言うオアシスというものです。
このあたりは乾燥地帯でありながらも近くにインダス川が流れているので緑も生い茂っている。
砂漠地帯もいい景色ですが色のある方が美しさはあるかと思います。
この後は入り口に戻ってすぐ近くの売店で飲み物を買って回復しました。
タクシードライバーに水をあげようとしたら大丈夫と断られた。
タクシードライバーは最強であることがわかった。
美味しい謎の木の実

観光が終わりサッカルに戻ろうとした時に目の前に木の実を積んだトラックが走っていた。
TOYOTAと書いてあったのでさすがは世界のTOYOTAである。
すると、またまたタクシードライバーが、
『あの木の実無料で食えるけど、食べにいくか?』
と行ってきたのでとりあえず食べにいくことにした。
得体の知らないものを口にするのは少しためらいはあった。
しかも火を通したり、洗ってない生の食べ物なのでなおさらである。
少し冷静に考えて同じ人間が食べてるから大丈夫だろうと自己暗示をかけて解決した。

すぐ近くに木の実の成る木に到着した。
当然だが、この場所は農場であるので多くの作業員がいた。
タクシードライバーが交渉して何個かおすそ分けしてもらうことに。
味は甘くて美味しいが、結局この木の実はなんなのかはわからなかった。
それでもちゃんと食べれるものだったので良しとしよう。
異国からきた僕に木の実を分け与えてくれた作業員には感謝しかない。
いつだって損得無しで何かを分け与えれる人になりたいといつも思う。
しかし、現実は厳しいことも非常にたくさんあるので今後の課題である。
たらふくいただいた後はタクシードライバーと別れてサッカルの街を目指すことにした。